「やればできる!」人になる方法。育てる方法。

「失敗したらおしまいだ」「失敗しないように簡単な問題をやろう」「能力は生まれつき決まってる」そんな風に思っている中高生はいませんか?

「よくできたね。問題解くのが早いね!」「こんなにできたなんて頭がいいね。」そんな風に褒めている保護者の方はいませんか?

そのままだとちょっとやばいかも、というお話。マインドセット「やればできる!」の研究を引用しながら書いていきたいと思います。

シンプルにいうと、

「”自分の能力は、努力次第で伸ばすことができる”そう信じている人ほど成長できて(成績も伸びる)、”自分の能力は生まれつき決まっている”と思っている人は成長が止まる」

ということ。

「自分の可能性を信じて、努力せよ!そうすれば絶対成長できるよ」

ってこと。

「頭が良いね、悪いね。」という大人からのメッセージは、子どもたちが自分の”才能”や”能力”を評価されていると感じるため、才能がないことを証明してしまわないように、失敗を恐れるようになってしまう。努力をして失敗すること=自分には才能がないという結果が出てしまうことを恐れて、努力すらしなくなってしまう。

成功や失敗という結果ではなく、努力することや成長すること、学び続けることに価値があると感じる子(楽しいと思える子)になってもらうためには

「学習の成果ではなく、学習のプロセスや努力・成長に焦点を当てて褒めるようにしましょう」

ということです。結果的に、そちらの子の方が成績も上がるという実験結果も。

自分の能力は生まれつき決まっていて変えることができないという信念をフィックスマインドセット(硬直マインドセット)、自分の能力は努力次第で伸ばすことができると信じているという信念をグロースマインドセット(しなやかなマインドセット)と呼んでいます。そして、マインドセットは自分次第で変えられます。また、子どもにとっては周囲の大人の働きかけが大きく影響を与える。

先述した『マインドセット やればできる!の研究』に掲載

能力をほめると生徒の知能が下がり、努力をほめると生徒の知能が上がった

まず生徒全員に、非言語式知能検査のかなり難しい問題を10題やらせた。ほとんどの生徒がまずまずの成績。終わった後で褒め言葉をかけた。ほめるにあたって生徒を2つのグループに分け、一方のグループではその子の能力をほめた。「まぁ、8問正解よ。頭がいいのね」といったぐあい。そう言われた子どもたちは、有能というレッテルを貼られたことになる。もう一方のグループでは、その子の努力をほめた。「まあ、8問正解よ。よくできたわ。よく頑張ったのね」というぐあい。自分には何か優れた才能があると思わせないように、問題を解く努力をしたことだけをほめるようにした。

グループ分けをした時点では、両グループの成績はまったく等しかった。ところがほめるという行為をおこなった直後から、両グループの間に差が出はじめた。懸念されたとおり、能力をほめられた生徒たち(<能力群>と呼ぶことにする)はたちまち硬直マインドセットを示すようになったのだ。次に取り組む問題を選ばせると、新しい問題にチャレンジするのを避けて、せっかくの学べるチャンスを逃してしまった。ボロを出して自分の能力が疑われるかもしれないことは、いっさいやりたがらなくなったのである。

努力をほめられた生徒たち(<努力群>と呼ぶことにする)は、その9割が、新しい問題にチャレンジする方を選び、学べるチャンスを逃さなかった。

次に生徒全員になかなか解けない難問を出した。<能力群>の生徒たちは、自分はちっとも頭が良くないと思うようになった。頭が良いから問題が解けたのだとすれば、解けないのは頭が悪いからということになる。

<努力群>の生徒たちは、当然のように、なかなか解けないのだから「もっと頑張らなくちゃ」と考えた。解けないことを失敗とは思わず、自分の頭が悪いからとも考えなかった。

(中略)

能力をほめると生徒の知能が下がり、努力を褒めると生徒の知能が上がったことになる。

長くなってしまうので一部抜粋ですが、<努力群>は難しい問題にも楽しく学びに取り組み<能力群>はそうではなかったとのこと。<努力群>は努力を認めてもらえることがわかっている一方で、<能力群>は解けなければ頭が悪いというレッテルを貼られてしまうから楽しむどころではない。

頭の良さをほめると、学習意欲が損なわれ、ひいては成績も低下したのである

よかれと思って、褒めた言葉がこのように影響を与えてしまう。これは私自身も気をつけなければと思いました。子どもたちが問題を解けると、つい「早いね!すごい!」と褒めてしまうことがある。これは、「早くできる能力がすごい」ということになり、「早くできないとダメである」というメッセージになってしまう。早く解ける問題以外解きたくなくなってしまう可能性があります。「解けるようになるまで努力してすごい!」と伝えることをより一層意識して伝えていきたいと思います。

優れた教師は、知力や才能は伸ばせると信じており、学ぶプロセスを大切にする。

まだまだ”優れた教師”ではありませんが、私たちがとにかく大事にしていることはまさにこのことです。一人ひとりの成長に集中し、可能性を信じ、学びのプロセスを何よりも大切にしていきます。

可能性を信じる

人間の脳はまだ神秘に包まれており、知能や脳の働きについてはわかっていないことがたくさんあります。知能というと、人間には頭の良い人、普通の人、悪い人がいて、一生そのままだと思っている人が大勢いますが、最近の研究ではそうでないことがわかってきました。脳は、筋肉と同じく、使えば使うほど性能がアップするのです。新しいことを学ぶと脳が成長して、頭がよくなっていくことが科学的に証明されています。

実際に、この話を聞いてマインドセットのワークショップを受けた子どもたちの成績は上がったそうです。

これは肌感覚でもわかりますね。私も日々勉強を続けていますが、学べば学ぶほど、成長実感を得られます。10年前の自分と今の自分、自信を持って「今の方が頭が良い」と言えます。(他人と比べてじゃなく、過去の自分と比べて)

私は生まれ持って頭が良いわけではないので、大学生時代には、天才的な理解力の友人に出会い、自分の能力の低さに絶望しかけたこともあります。でも人との出会いや環境に恵まれ、いままで勉強を続けることができている。そのかけた時間に比例して、自分自身の成長を感じられています。これは本当に幸せなことです。だからこそ、人の可能性を信じているし、学び続ける楽しさを伝えていきたいなと思っているんですね。

しなやかなマインドセットの根底にあるのは、「人は変われる」という信念である。

本書の中で「グロースマインドセットとフィックスマインドセットは、両面を持ち合わせてしまうこともある」的な記述がありました。私自身も「フィックスマインドセット」よりになってしまうことも多々あります。それでも「人は変われる」という信念を持ち、たくさん挑戦し、たくさん失敗し、たくさん努力をしてもっともっと成長していきたい。と、改めて思いましたとさ。

意識しようがしまいがすべての発言はメッセージを含んでいる

最後におまけで私の親について書いてみようと思います。この本を読んで、私がいまポジティブに学び続けたいと思えていること、挑戦を続けていきたいと思えているのは、やはり親の関わりが大きかったと思ったからです。

私は小さい頃から、成果や実績について親から評価をされることはありませんでした。志望校に合格しようが、野球で活躍しようが、世間的に良い会社に就職しようが、「自分の才能や能力(もしくは実績の相対的な良さ)」を褒められたことはありません。一方で、一緒に喜んでくれることはよくありました。

母はよく「(妹弟含め)みんな勉強してすごいね」と言っていたなぁーと思い出します。テストの点数が良いことではなく、勉強していることがすごい。そんな関わりを通じて、努力に価値があることを感じていたのだと思います。小さいときは母によく怒られていた気がしますが、記憶にあるのは、自分でやりたいと言って始めた野球を朝起きるのが辛いからやめようとしたとき。それは「自分の発言に責任を持つべきだ」というメッセージとして自分には届いていたのかもしれない。あと友人と殴り合いの喧嘩をして帰ったとき。喧嘩したことを叱るのではなく、なぜ喧嘩をしたのかに注目してくれた。その喧嘩の理由がいじめられている子を守ろうとしたときで。もちろん、殴り合いはよくないと思うけれど、喧嘩をしたという事実よりも、その背景にある正義感や理由を大切にしてくれたことは、いまの自分につながっていると思います。そして、なによりも小さい時にはよく怒られてましたが、きちんと躾をしてもらって、挨拶・掃除・片付けなど当たり前のことを当たり前のようにできているいまの自分があるのは母のおかげですね。大人になってわかったことは、子どもに当たり前のことの大切さを伝えることって本当に地道で本当に大変ですから。

また、温厚な父にはほとんど怒られたことがありませんが、記憶に残っていることが一つ。リーグ戦の優勝がかかった野球の試合で友人がエラーをして負けてしまったとき、あろうことかキャプテンだった自分はその友人を責めてしまった。しかしそれを見ていた父は珍しく怒りました。「一生懸命やって失敗することはだれにでもあるだろう。エラーしたくてしたいやつなんていないだろう」と。これはいま思えば、結果だけではなく、一生懸命取り組むことの大切さを教えてくれるメッセージとして届いていた。そのときはここまで言語化できていたわけではないけれど、父のスタンスは「結果は良ければ良いよね。まぁでもうまくいかなくても、一生懸命悔いなくやることが大切だ」。これはいまも昔も変わらないように思います。高校2年の夏、先輩が抜けた直後、イップス(精神的に弱くなってボールがまっすぐ投げられない状態)になってしまい、レギュラーを外されてしまったことがありました。自分自身に対しての悔しさ、チームメイトに対して(負けたらダッシュという鬼のような状況だったので…)申し訳ない気持ちで死にそうでした。合わせて、楽しみに試合を観に来てくれていた父に対しても申し訳ない気持ちがあった。ひどいときは、せっかく観に来たのに、試合開始直後にミスをして初回に変えられてしまうようなこともありました。そのとき、たしか父に「せっかく来てくれているのに申し訳ない」と謝った。その返事として言われた言葉が「悔いなくやり切れば良いさ」でした。そこから気持ちが楽になったのか、奇跡的にすぐさま復活。レギュラーじゃなかろうが、ミスしようが、悔いなく一生懸命やり切れば良い、そんな思想が自分自身の中に染み込んでいった。それ以来、「うまくいかなくても楽しければいっか」と何事もポジティブに考えられるようになったなと思います。だから結果や成果だけに捉われず、伸び伸びと生きることができているような気がします。不思議なことに、そういう気持ちの方が結果もついてくるように思います。

両親が想像していた自分になれているかはわかりませんが(笑)、少なくとも自分は感謝しているし、振り返れば、両親のあり方がいまの自分に多大なる影響を与えていると思います。

だとすると、これから先、子どもたちに発するメッセージは、その文字通りの言葉以上に「どうあって欲しいか」「どう感じて欲しいか」を込めて発する必要がある。子どもと関わる一人の大人としての責任意識を持って、メッセージの意味を大切にしながら関わっていきたいと思います。