読解力講座の2つの意味。豊かな語彙力が豊かな人生をつくる。

C.schoolでは、「ことばの学校」というプログラムを用いて、小学生向けに読解力講座を提供しています。読書を通じて、「語彙力」を養うこと、そして、粘り強く本を読み考える力、読み解く力を育むことを目的としています。

元々、読解力講座を始めた背景は、「中学生や高校生が解説を読めない」あるいは「問題文を理解できない」という現状が多々あることを目の当たりにして、強い危機感を持ったことがきっかけです。

その課題の背景にあるのは、SNSやwebニュースの普及によって、短い文章でのやりとりや情報収集が当たり前となり、じっくり読むという習慣がなくなってきていることが挙げられると思います。読み解く力や語彙力が不足している問題もさることながら、とにかく、じっくり考える力、自分の頭で考えて理解したり、想像しようとする粘り強さが足りていない。思考を放棄してしまう。これは子どもだけでなく、自戒の念も込めて、私たち大人にも言えることかもしれません。

問題文や解説文を読めるようになるために、読み解く思考の体力を身につける

一方で、社会では読解力が求められます。入試問題は、社会に求められる力を逆算したもの。やはり、文字数が増えてきています。国語だけでなく、5教科すべてで問題文を読み解き、求められていることを正確に把握した上で回答することが求められるのです。一問一答で答えられるような問題は漢字くらい。以下は都立の高校入試の抜粋です。

理科の小問ですらこんなにも長い文章を読んで答える必要があります。もちろん、テクニック論はありますが、本質的には読む力が求められているのです。

自分の頭でじっくり考えて、理解できた感動を味わって欲しい。その感覚が味わえれば、自分の力で成長していく基礎力となっていきます。

語彙力が感情を豊かにして、幸せにする

また、「ことばの学校」は語彙力を増やしていく効果があります。1冊読むごとにワークシートを解き、50語もの新しい語彙を蓄えていきます。これは、「入試に役立つ読解力を鍛える」みたいな実利的な効果のみならず、人生を豊かにする力になると考えています。

最近読んだ「街場の教育論」という本に、語彙力を鍛えることに関して、なるほど、と思わされることが書いてありました。

はじめに言葉ありき

古典は理解するものではなく、暗記するものだと三浦雅士さんがどこかで書かれていました。例えば、「ひさかたの光のどけき春の日に清心なく花の散るらむ」という古歌があります。中学生はまずそれを暗記させられます。「光のどけき」とはどういうことか、「静心なく」とはどういうことか、そんなことはとりあえずどうでもよろしい。まず暗記する。そしてずいぶんとしがた経った後に、ある春の日にふとその古歌が自らの実感として口から漏れ出ることがある。その瞬間に、歌と感覚のあいだに回路が繋がる。「静心なく花の散る」とは「ああ、このことだったのか」と実感される。

(中略)

私たちはまず言葉を覚えます。意味がよくわからない、何をさすのかわかららない。それでいいんです。言葉を裏打ちする身体実感がないというその欠落感をずっと維持できているからこそ、ある日その「容れ物」にジャストフィットする「中身」に出会うことができる。

(中略)

だから、まず言葉のストックが必要になる。まず言葉のストックをどんどん増やしていく。その「私の実感によって充填されていない空語」が「私の実感」を富裕化される。
「思いがあまって言葉が足りない」という「言葉の貧しさ」と、「言葉があまって思いが足りない」という「身体実感の貧しさ」がある。ふつうの国語教育者は「思いがあまって言葉が足りない」というのが子どもの言語状況であると考える。それゆえ「思っていることをそのまま言葉にしなさい」という国語教育を行う。

でもそれは逆だろうと私は思っています。

子どもの言語状況は「言葉があまって思いが足りない」というかたちで構造化されるべきでしょう。それゆえ、美しく、響きがよく、ロジカルな「他者の言葉」に集中豪雨的にされされるという経験が国語教育の中心であるべきである。私はそういうふうに考えています。

まず自分の「思い」が先にあって、その「思い」を「そのまま言葉にする」のが国語教育だという仮説を採用すると、子どもがある幼児的な身体感覚にふさわしい幼児的な語)例えば「むかつく」とか「うざい」とか)で満たされたとき、それ以上自分の言語を豊かにしなければならないという動機づけは失われてしまいます。

街場の教育論:p.242-245:著者・内田樹

この先に「思いと言葉の乖離」という内容もあり、非常に興味深く共有したいのですが、書き出すと切りがないのでご興味持たれた方はぜひ一読してみてください。

私はこの文章を読んで、

「言葉」を知っているから、経験を通じて得られる「感情」を表現できる。自分自身の「経験(感情)」をしっくり来る「言葉」に当てはめることができる(表現できる)から、その感情は自分のものになっていく。再現性を持って生きることができる。「言葉」にできることが増えれば増えるほど、豊かな「感情」を”実際に”持つことができる。

と解釈しました。

だから、経験が足りなくても、語彙力を先に増やしておくことが、豊かな感情を増やしていく。豊かな感情を増やしていければ、より豊かな人生を歩める。そう思います。

ちなみに、これは勉強でも同じことだと思いました。

例えば、因数分解をする意味について、最初にその意味を知ることは難しい。だけど、因数分解をとりあえず覚えておけば、社会人になったとき、因数分解をするってこういう意味があったのね、と気づくときが来る(人もいる)。でも、因数分解を必死に勉強していなければ、その瞬間は絶対に来ないでしょう。

勉強ってそういうものなのだと思います。いまは、どのように役に立つのかとか、なぜ学ぶのかとか、そんなことはわからなくても、とりあえずやっておく。知っているから、日々の経験をその知識で整理することができる。だから、知識(=世の中や自分を捉える箱)を増やせば増やすほど、豊かに生きられる。

「知識は調べればわかる時代だから、重要ではない」という言説があるけど、私はそう思いません。知識があるから、経験を整理することができ、応用することができる。知識があるから、現実世界を解釈することができる。自分自身のことをよく理解できる。

もっと言えば、仕事も同じだと思います。20代前半、海外のグループ会社の財務をまとめる資料をたくさん作らされていた。正直、よくわからないことだらけだった。でも、いまやっとその意味がわかってきた。あのとき意味がよくわからなかった数字の整理が、いま自分の会社を、他の会社をみるための枠組みになっている。

だから、何事も意味がわからなくても、まずやってみる。まずは知識を覚えてみる。そして、その枠組みを使って、世界を解釈できるときが来るのを楽しみに待つ。

子どもたちには、語彙力を増やしてほしいし、勉強をしてほしい。知識を手にして、目の前の勉強をやりたい/やりたくないだけじゃなくて、長い時間軸の中で豊かに生きてほしいと思うんです。

語彙力を増やして、自分の豊かな感情に出会ってしてほしい。まだ見えてない世界を解釈する力を身につけて、豊かに生きてほしい。語彙力の豊かさで、自分が感じられることも、見える景色も変わってくる。たった一度の人生を豊かに生きるために語彙力を増やしてほしいなと思っています。

ということで、いつもの如く、だいぶ長くなってしまいましたが(笑)ぜひ、小学生のみなさんにはこちらのコースを受講してもらえたら嬉しいなと思います。

私自身ももっともっと知識と語彙力を増やして、より豊かなに生きられたらいいなーと思っているので、勉強を続けたいと思います。生涯学習ですね。大人になってからの学習が、世界を広げてくれている感覚があまりに大きいので、いつか大人向けにも学び直し講座を提供したいなと思っているこの頃です。学ばないなんて、本当にもったいない!