優しさと甘さの違い。教育に求められる優しさと厳しさ

教員をしていたときから、ずーっと考え、悩んできた来たことでもありますが、ようやく自分なりに言語化することができた気がする、「優しさ」と「甘さ」の違い。

教育とは、子どもたちの成長に貢献すること。いまできないことをできるようになるために、まだなれてない自分になれるように、介入していくことだと思います。

私は、教育の仕事として、このようなイメージを持っています。

一つが子どもたちが成長した先を描くこと、そしてそれを姿勢で示すこと。

子どもたちに将来のことを伝え、なりたい自分を自分自身で描いてもらうことを目指すものでもありますが、同時に、子どもたちが将来のことを具体的にイメージするのは難しい。なってみないとわからないものでもあります。だから、関わる大人が、子どもたちにあって欲しい姿を明確に持ち、ロールモデルとして姿勢で示し続けること、大人が信じて伴走し切ることが重要です。

「大人になって役に立つから勉強しなさい」なんて、いくら言っても伝わらない。それは、私に、「老後の蓄えが必要だから、毎日タリーズのコーヒー一杯我慢して貯金しなさい」と言っているようなものです。伝えたいなら、「勉強する楽しさを自分自身の人生を通じて体現する」ことが大切です。

そして、二つ目が、その理想の未来に向かっていくプロセスを全力で伴走すること。どんなに理想があっても、具体的なプロセスに落とし込み、日々日々子どもたちがやり切らなければ何も変わりません。ただ、気持ち良い理想を語るだけではなく、地道で苦しくもあるプロセスを伴走し切ることが、教育に関わる大人のもう一つの役割だと思います。

ちなみに、どこまで介入すべきかは、子どもの状態や現在地点によります。細かくアドバイスをしながら伴走することが必要なケースもあれば、本当に困ったときに相談をできるように温かく愛を持って見守ることが必要なケースもあります。

今回、書きたいのは、二つ目の伴走について。これがもう本当に大変です。

保護者の方々も悩まれることがあるのではないかと思います。子どもによくなってもらいたいけど、どこまで怒って、どこで優しく受け入れれば良いのか。変わって欲しい姿はあるけど、そうならなくても愛する子どもを受け入れたい。いや、でも、子どもの将来を真剣に考えたら、やっぱり成長できるように厳しさも持たないといけない。

自己肯定感を失わないで欲しいけど、自分に甘くならないでほしい。

そんな葛藤があると思います。

子どもを意図せず傷つけてしまったり、それによって自分が傷つくことも多々あります。私もそうですが、本質的には、子どものためといいながら、自分を守ろうとしすぎてしまうこともある気がします。でもそれに、大人側が向き合わなければ、当然子どもも向き合わない。

子どものどこの部分にどう向き合えば良いのか、ずっと考えてきました。

その一つの答えが、「Beingに優しく寄り添い」「Doingに厳しく向き合うこと」です。Beingとはその子自身の心の内側。Doingは、実際の行動です。このイラストの周りの様々な表面に出てくる行動がDoingです。

昨日、試験期間中もゲームをしてしまう子と話をしました。「勉強とか嫌いなんですよ」というので、「勉強嫌いなんだ」と特に肯定も否定もせずに、話を聞いていると、「いや、勉強自体は嫌いじゃないんですけどね。やった方が良いっていうのはわかってるんですよねー。もう帰りたいですよー。えーじゃあ、ここまでやったら本当帰してくださいよ」なんていいながら、がんばってました。心の中には、少なからずできるようになりたい気持ちはあるはずだと思うんです。じゃなきゃやらないですよ。

この気持ちやその子の本質(Being)に対しては、優しい眼差しを向ける必要があると考えています。そこを否定してしまったり、素直な気持ちを表に出せないコミュニケーションをとってしまうと、自分が否定されているような気分になります。表面的な言葉じゃなくて、その子の本質をじっと見つめるんです。否定せずに、その子の心の声が出てくるまで、じっくり関わっていく。

一方で、Doingには、厳しさも必要です。ここを履き違えると甘さになる。

良くありたいという気持ちと、表面に出てくる行動には常にギャップがあります。これは私だってそうです。良くありたいと思っているのに、自分でも「あーやってしまった」って思う行動をしてしまうことがある。ここには厳しく向き合わなければ成長しない。

ダイエットしたいと思っているのに、夜中にラーメン食べてしまうことがある。昨日までがんばってたのに。これ甘やかしたら、痩せないですよね。「健康のために痩せたい。がんばりたい」っていう気持ちにはとことん寄り添い、応援する。でも、ラーメンを食べてしまった事実には、とことん向き合って生活習慣を変えていかなければ痩せられない。

勉強も同じなんですよね。

子どもたちと面談をすれば、みんな自分が望む目標を掲げる。よくなりたいと思っている。でも、実際の行動に移ると自分に甘くなる面もある。自分だけだと大体自分に甘くなるんですよ。自分もそうだからわかります。

でも、それもしょうがないよね、人間だからそんなこともあるよね、だけでは絶対成長しない。

それは、優しさではなく、甘さです。

子どもの将来のために絶対にならない。ここを引っ張りあげることこそ、教育の役割かと思います。

だから、先ほどの子には、Beingにとことん向き合いながらも、同時に「そんなにゲームやってたら絶対成績あがらないよ」と淡々と事実を伝えました。「明日は昼からやる」そう意気込んでいます。

事実と向き合う機会を作り続けるしかないんです。目を背けれたら、変われない。

そして、こちらも粘り強く向き合い続けて、少しずつ湧き出る、子どもたちの成長意欲に向き合い、伴走し続ける。

人間だから、良く行動できることも、うまく行動できないこともある。でも本質的には、良くなりたいと思っている。それこそが、その子自身だと思っています。だから、その子のBeingを全面的に受け入れる。

一方で、その子の本当の成長を願って、Doingに私たちが向き合っていく。ありたい姿と行動がきちんと一致する瞬間が増えていくように、伴走をする。

どちらかだけではうまくいかない。だから両方、大切にする。これこそが、「なりたい自分に出会える塾」、そして「やり切る力を育む塾」」としてやっていかなければならないことだと思っています。

自分にもかなりプレッシャーかかっていますが、自分を棚に上げず、なりたい自分になれるように、やり切っていきたいと思います。

教育を語るって、結局「お前ができてるのか!」って話なので、常に自分を追い込んでる感じがします(笑)