「口だけの子ども」に対する対応

「次の定期テストでは、必ず40時間勉強します!」「ゲームをやりません!」「ワークは3周します!」

と意気揚々と意気込んだテスト前。

蓋を開けてみたら何一つ達成していない…

いつも口だけ…

叱っても、叱っても、変わらない…

もう怒る気にもならない…

これを読んでくださっている、保護者の方々、塾あるいは学校の先生方だったら、少なからず似たような経験をされたことあるのではないでしょうか。

このような状況に対して、私自身がどう対応しているのかを書きたいと思います。毎回うまくいくわけではないですが、少なからず子どもたちの変容を感じる機会があります。

もちろん、絶対的な正解はない話ですし、私も常に思考錯誤ですが、今回は、具体的な実践よりも「なるほどそんな考え方があるのね」と思ってもらえたら嬉しいです。

私は、子どもへの対応のヒントは、常に自分自身にあるのではないか、と考えています。

「この子のことはよくわからない」「この子は人と違う」など、自分が想定することとは違う「行動」をとる相手に対して使いがちな言葉です。たしかに表面的な「行動」の選択は千差万別で他者のことを理解するのは難しい。でも、人間、本質的に「快を求め、苦を逃れる」ために選択と行動をしているという点においては、誰しも変わらない存在なのではないかと思います。

一瞬脱線して、「勉強しないでゲームをしてしまうよりも、いま苦労して勉強した方が、長期的には快ですよね?」という問はまさにその通りだと思っているのですが、多くの人が短期的な快楽を求めてしまいます。将来、健康を害するとわかっているのに、乱酒・喫煙してしまったりするのと同じです。ここがまさに教育の役割で、最近では非認知能力として定義されるような自制心や未来を見通す力などを育むことが重要です。

例えば、4歳児の子に対して行った有名なマシュマロテストと呼ばれる実験があります。目の前にマシュマロを1つおき、15分我慢できたら、2つもらえるという実験の結果、我慢できた子の方が大人になって成功する確率が高かったと研究もあります。

話を戻すと、自分自身が宣言したことをきちんとやり切らせ、この自制心を育むにはどうしたら良いのか。

まず、大人のみなさんに共有したいステップとしては、「あんた、言ったこと全然できてないじゃないの」「いつも口ばかりだね」と子どもに言う前に、一歩立ち止まって自分自身のことを振り返り、自分自身が宣言したことをできているのかと向き合い、できているとしたらなぜできているのか、できていないとしたらなぜできていないのか、考えてみる時間をとることです。

私は、まず自分自身のことを振り返しました。私は、長期的な健康のために、1日2食、断酒を宣言しています。一番近くにいる弊塾の関屋には100回以上、言葉にして宣言しています(笑)それにも関わらず、先日関屋と参加した友人の結婚式でお酒を飲んでしまい、翌日、何度も何度も反省の言葉を口にしたにも関わらず、さらには、翌週の塾の先生方の懇親会でもお酒を飲んでしまったのです。今年1年のことを振り返れば、年初に立てた英語学習計画だって、続けてはいるものの、宣言したレベルでは進んでいません。

そんな自分に必要な言葉や関わりはなんだろうか、考えました。

お酒を飲んでしまったことに対する自己嫌悪が強く、最近会う人会う人に自分の弱さと情けなさを聞いてもらっていました。さぞかし迷惑だったと思います(笑)これは「お酒を飲んでしまった」行動そのものよりも、「宣言したことができていない自分」の不甲斐なさによるものです。

これも子どもたちの様子見てると本当に同じだなぁと思います。なぜなら、私たちは「叱る」とか「怒る」とか言うことはほとんどありませんが、「事実を振り返る」プロセスの中で、子どもたちが自分自身のことを振り返り、時々涙する子がいます。それは、何かへの恐怖ではなく、ありたい自分とのギャップに対する不甲斐なさなのだと思います。その気持ち、痛いほどわかるんです。

それで、私がピーチクパーチク言っていると、周りのみんなは、うるさくて仕方ないから「別にそれくらいいいんじゃない?」とか「多少のお酒は身体にいいらしいよ」とか慰めとともに「心地よい言い訳」を用意してくれます。でも、それを聞いてその通りにしていたら、本当に自分は変われない。自分にとっては、優しさではなく、甘えになってしまう。そんな中、自分の中に刺さった質問が「なんでそんなにお酒やめたいの?」でした。これはつまり、「宣言した目標が、あなたにとってどういう意味があるの?」という中長期的な展望に戻してくれる問だったのです。その上で、自分自身で言語化すると、「中長期的な健康の維持」と「翌日のパフォーマンスの低下を防ぎたい」という二つの明確な目標を思い出しました。改めて、短期的な誘惑に負けず、このために目標達成に拘ろうと思えたのです。(真面目に断酒について書いてるのも笑えますね)

そのときに自分が必要だった言葉は、「口だけじゃなくがんばれよ」といった厳しいフィードバックでもなく、「そんなときもあるよね」という甘えでもなく、「結局、どうしたいの?」ということだったのです。

それで思ったんです。勉強も同じではないかと。

「試験勉強中ゲームしません!」といった子がゲームをしているという事実があったとき。「それでもいいよね」でも、「また口だけじゃないか」でもなく、「こう言う目標を立ててたけど、事実としてこうなっちゃったよね。なんでそうしたいの?結局、どうしたいの?」と問うこと。ここには一切プレッシャーをかけません。「言わされた目標」なんて結局同じこと繰り返すだけだからです。(一方で、これはまた今度書きたいですが、自分事になりきってない目標で全然できていないことでも、何度も口に出していくことは重要だと思っています。いつか自分事になり、いつか現実になるから。)そして、その答えに対して「本当にそうしたいんだね?本当にそうしたいなら、こちらも本気でそれが実現できるようにサポートするよ」と伴走を誓います。

これがいま私が、子どもたちと同じく持つ、自分自身の弱さから導き出した子どもたちへの関わりです。まだまだ見直す必要もあると思っています。

「口だけの子ども」に対してどう対応したら良いかわからなくなったとき、「口だけの自分」を振り返ってみて、その自分を変えるために必要な声かけや関わりを真剣に考えると、「口だけの子ども」に対する関わり方が見えてくるかもしれません。

自分を棚に上げず、でも自分ができないからと妥協せず、子どもたちに働きかけながら、自分も変えていく。それが私たちが目指す教育現場、言い換えると、共に育つ、共育現場です!