中高生の勉強を通じて得られるもの

「この知識、将来役立つんですか?やる意味あるんですか?」

っていう疑問ありますよね。時々聞かれます。今まで子どもたちのそんな疑問にたくさん付き合ってきたのでわかることは、大抵の場合、勉強に疲れちゃって投げ出したくなる理由探しをしているだけで、本当はそこまで考えてないことの方が多いのですが(笑)一人ひとりに向き合うことが大事だ思っています。その気持ちもわかるからです。

それに対する私の答えは「知りません。でも知識を身に付ける過程で得た力はきっと役に立つ」です。

知識に関しては、その先、一人ひとりがどんな人生を歩むのかに寄りますよね。英語なんか典型的で、キャビンアテンダントになれば使うだろうし、数学の先生になれば使わないでしょう。学校教育で学ぶべき知識として与えられていることは、生きていく上であった方が役立つと考えられる知識の中から、授業時間内で扱い切れる最大公約数をとったもの。三角関数いるんですか?といった主張が国会でもなされたようですが、その内容自体は時代とともに移り変わっていくものです。その移り変わりのスピード感や選び方に関しては、ここでは一旦置いておきます。

今回は「無駄かどうかを判断せずに楽しむことから得られること」と「無駄な知識であったとしても勉強する過程で得られること」について書きたいと思います。

まず「無駄かどうかを判断せずに楽しむこと」について。私も含めた多くの人間は、面倒臭いことややりたくないことを「こんなことやっても無駄」という結論に導きたい生き物なんだと思います。少なくとも私はそういう人間です。本当、自分を棚に上げずに言えば、よくそんなこと思って生きています。

でも31年の人生を通じてわかったことは、本当に無駄かどうかはその瞬間にはわからないということ。あとからその無駄に意味が生まれてきたりする。あと、最近元メジャーリーガーのイチローさんが高校生に向けて「無断なことをしなければ合理的になれない」といった話をしているインタビューを見て、まさにその通りだなと思いました。無駄だと思っていた知識が役立つこともあれば、無駄だと思っていたことを無駄だったと判断できるようになることもあるわけです。「この知識覚えて意味あるんですか?」という判断を人に委ねずに、自分が納得する答えを見つけることが重要です。そんなプロセスを楽しんでいってほしいと思うんですよね。自分自身も最近、積極的に無駄に見えることに力を注ぐようにしていたりします。

二つ目が「無駄な知識であったとしても勉強する過程で得られること」について。どちらかというと今回書きたかったのはこっちの話。

私も含め、勉強なんて途中でやめたくなるんですよね。覚えるの大変だし、数学なんてどんどんわからなくなるし。そうすると、大体やらなくて良い理由を探し始めます。私はそうです。

そのときに伸びる子と伸びない子の違いは何か。例外的に高い能力を持っている子を除けば、一言で言っちゃえば、「やりたくないことをやり切れるか」ですね。みんな「やりたいこと/やれること」しかやらなければ当然平均点止まりです。全く勉強していなかった子が、少し勉強を始めてできるようになってくると平均点とか平均点ちょっと上くらいまで取れるようになることはよくある話です。このときみんな「勉強楽しくなってきた」と感じます。

ここまで頑張れたことも素晴らしく尊いことです。

一方さらにレベルアップしたい場合。まだ、心地よく勉強できている状態は「みんなできること」であると認識する必要があります。

次の壁が「心地よくない状態を乗り越えること」です。自分に天才的な能力がなく、それでも努力して90点以上取りたいと思うなら、「心地よくない状態を乗り越えること」にチャレンジしなくてはならないのだと思います。自分はそうだったのですが、中学のときも、高校のときも、試験前日途中で諦めたくなるんですよ。ワーク全部見直して、すべての問題を自分の力で解けるようになるにはこりゃ徹夜になるな、と。もう寝てしまおうかと。

解説みてなんとなくわかったで終わらせることもできるんですが、それだと絶対次の日自分の手を動かした時にできるようになっていない。だから、自分は試験前はほとんど朝の3時くらいまで勉強していましたね。3時間は寝ないとテストで力を出せないと何回か徹夜してわかったので(こういうのも”無駄な”勉強を繰り返すことでわかってくるものです)、3時に寝て6時に起きて復習してました。

みなさんも具体的にイメージしてほしいのですが、「諦める瞬間」ってありませんか。子どもであれば勉強、大人であれば仕事をイメージしてください。

もうやりたくない、なんでこんなことやらなければいけないんだよ、自分の能力が低いんじゃないか、こんなこと覚えて意味あんのかよ、っていうあの瞬間です。(ないですか?笑)

そのめちゃくちゃ嫌な瞬間を乗り越えていくこと。結果を出すにはそれしかない。力をつけるにはそれしかない。それをやらなければいつまでも、自分の世界の「心地よい勉強」にとどまります。泣きたくなるあの瞬間を乗り越える。私も問題がわからなすぎて、自分に絶望して泣きながら勉強してたときもありましたね。

で、何が言いたかったかというと、この経験がめちゃくちゃ尊いということです。下手したら学んだ知識なんかより尊い。生きていく上で必要な知識は変わりゆくものだし、自分の生き方や関わる仕事によっても変わってくるでしょう。

でも、大人になったって必ず「諦めそうな瞬間」ってやってくる。なんで私はこんなことやってんだろう、なんでこんなことしなきゃいけないんだよ、って思うことがたくさんある。そのときに、中高生のときに「諦めそうな瞬間を乗り越える力」を身につけていると、意外とやれちゃうんですよね。そうすると、大抵やってよかったな、ってなるものです。これができるのは、やった方があとから得られるものが大きいということを感覚的にわかっているし、自分ならできるという自信もついているからです。

だから、いろんな考えがあると思いますが、「心地よい勉強」で止まっていてはいけない、と私は思ってます。たとえ、それが無駄な知識を覚えさせられていたとしたって、「諦めそうな瞬間を乗り越える力」は将来どんな場所でもどんな生き方をしようが、きっと役に立つ。

一旦、やらなくて良い言い訳探しをやめて、やりたくないことをやりきってみましょう。ひたすら手を動かしてみましょう。きっと見える世界が変わります。