成長する学び方、成長が止まる学び方

急に涼しい季節に入りましたが皆さまいかがお過ごしでしょうか。

私はここ1ヶ月ほど1日3kmの散歩を続けていて、3日前からは通勤を徒歩に切り替え、毎朝30~40分程度、ぼぉーっと考え事をしながら通勤をしています。音楽も何も聞かずに、無理に余計なことも考えずに、ただ頭の中に浮かんでくることを眺めている感じです。

朝起きた瞬間にインスタをチェックし、歩きながら音楽を聞き続け、通学電車ではyoutube。帰ってくれば、ご飯を食べながら、お風呂に入りながら、友達とLINEを続ける。そんな生活を送っている高校生も多いのではないでしょうか。と電車に乗ると思う日々です。

日々、時間がないような「感覚」に追われ、あれもしなきゃこれもしなきゃ、とせかせかと生きることが言わばデフォルトとなっている現代。心も体も「実態のない何か」に追われがちに思います。

そんな皆さんにお勧めしたいのが、1日30分程度の散歩。この時間は、ただ自分の思考(頭の中に浮かんでくること)を見つめ、受け入れる。頭の中に不安なことや不満が浮かんできても、一回落ち着いてただ受け入れる。それだけで、落ち着いて日々が過ごせます。

これは、いま世界的にもトレンドである「マインドフルネス」に由来する時間の過ごし方で、またの機会に丁寧に書いてみたいと思います。

さて、今日は「成長する学び方、成長が止まる学び方」について書いてみたいと思います。塾の中での具体的な話で言うと「質問の仕方」(あるいは質問に来るまでのプロセス)の違いです。伸びが早い子と伸びが遅い子に、決定的な違いがあるのです。

そして気づいたことがあります。それは子どもも大人も全く同じであるということです。私が経営大学院に勤めていたときの議論で、伸びる社会人と伸びない社会人、という話があり、内容がほぼ同じなのです。つまり、子ども時代の「勉強の仕方」と社会人になってからの「仕事の仕方」が与える成長度合いはほぼ同じ話で、子ども時代にいかに適切な勉強の仕方を身につけられるかが重要なのではないかと思います。

まず、伸びる社会人と伸びない社会人の議論で話されていたことのポイントとしては、「課題を明確にして、仮説を持てるかどうか」ということでした。大人になると、子どもたちの学習の比ではなく、日々日々「答えのない問題」にぶつかります。何をしたら良いのか途方に暮れることがある。

例えば、文房具店に就職した新入社員。突然に「このペンの売上をあげてくれ」と上司から依頼されたら、途方に暮れると思います。(ちなみにダイソーで3本100円のペンです)私も絶望するでしょう。

そんなときに、ただ「何をすれば良いかわかりません。」となる人がいる一方で、「このペンが売れていない課題は〜だと考えています。他社の例を調べたり、◯◯の書籍を読んで、ーーーのように進めていくのが良いと考えています。また、自社の強みは■■なのでこんな付加価値がつけられると思います。ただ、ここから先、△△という案はあるのですが、あまりしっくりきていなくて。。どう思いますか?」と、自分の手と脚を動かして情報収集をして、進むべき道筋を自分の頭で考えることを繰り返す人がいる。

絶対後者の人の方が成長しますよね。前者の人は、思考を上司に委ね、自分の頭で考えることを放棄してしまっている。一方で、後者の人は、自分の頭で考えている。つまり、課題設定をして、情報収集をして、仮説構築をしているのです。

そして、これが子どもの勉強でも全く同じなんです。

余談ですが、私は会社員と学校教員を経験しているので、とても驚いたし、とてもおもしろいなと思ったことがあります。それは大人も子どもまったく同じだということです。会社の中には、あらゆることに不平不満を言う人がいる一方で、あらゆることに前向きに取り組む人がいます。教室の中には、あらゆることに不平不満をいう子がいる一方で、あらゆることに前向きに取り組む子がいる。会社員時代の◯◯さんと教員時代の××くんの物事に向き合う姿勢が重なるし、会社員時代の△△さんと教員時代の■■さんの物事に向き合う姿勢がそのまんま重なる。(もちろん、個性は一人ひとり違いますが、物事に向き合う姿勢や物事への反応という意味で)

そう感じたときに、私は「生き生きしている大人」の姿勢や考え方、意識を持った行動を子どものうちから身につけた方が良いと思いました。だから、いつもネガティブなことばかり言ってしまう子がいても、その言葉は受け入れつつも、前向きな意識や姿勢を持てるように、注意深くコミュニケーションを取りたいと思っています。

話がそれましたが、同じ意味で、勉強への取り組み方と仕事への取り組み方も一緒なんです。

今回の話でいうと、勉強を進めていて、わからない問題にぶつかったとき。問題を見た瞬間に、「わかりません、教えてください」という子がいて、一方で「問題を見てわからなくて、解説を読んだらここまで分かったんですけど、ここから先がわかりません。多分、これがわかってないと思うんですけど、教えてもらえますか」と聞く子がいる。レベルの高い子は、習ってない単元ですら、教科書をざっと読み通したりwebで調べたりして、こういう質問ができる。本当にこれくらい違う。

先ほどの社会人の例と驚くほどにまったく同じです。後者の方が伸びるのは一目瞭然ですよね。

前者の子は、考えることを先生に委ねてしまっている。自転車の練習で言えば、常に補助輪をつけて練習している状態です。厄介なのが、これでも定期テストの点数は伸びるんです。なぜなら、定期テストそのものが範囲が絞られていてスモールステップに問題が出されるので、補助輪付きの自転車のような状態だから。一方で、模試や受験など、範囲が広くなると全く対応できなくなる。補助輪付きのスピードでは到底間に合わないほど長いコースだし、時に補助輪つきでは通れないような険しい道もあるからです。自分で解説を読んで自分の頭で考える姿勢とスキルと忍耐力を身につけないと、常に「考えるプロセス」を誰かに委ねることになり、覚えるだけになるから全く同じこと(同じ問題/同じ仕事)しかできなくて、他のことに応用ができない。多分、大人になって「答えのない問い」にぶつかって絶望することになる。ましてや、思考を必要とせず、覚えて繰り返すだけの役割はAIにとって変わられる時代です。私たちは、「答えを知らないこと」に向き合わなければならない時代に生きています。

とはいえ、子どもたちは、前者からスタートするのが当たり前なので、後者の質問ができるように粘り強く関わっていきます。私も中学生くらいの頃は、「先生!わかりません!」とか教室で大きな声でしょっちゅう言ってましたから(笑)よく怒られてました。

ここに対して、いま私が伝えていることは、

①上記のような背景を伝えた上で、

②わからない問題にぶつかったら最低限解説を読んでどこまでわかってどこからわからないのかを明確にしよう(レベル1:課題の明確化)

③その上で、教科書をざっと読み返して、これと類似しているのではないか、この定理を使うのではないか、などの仮説を立てよう(レベル2:仮説を立てる)

④でも、いまの時点で、それができなくても心配しなくて良いので、どうしても時間がないときやどうしてもできないときは、質問しないことの方が問題なので、「わかりません」だけでもいいので質問しよう。(レベル0:勉強への積極性)

と話をしています。もちろん、言うだけでなく、そのレベルアップをしていけるように、一緒に解説を読んだり、教科書から探してみたり、そのプロセスの体験をサポートしています。常に教育者として、言うは易く行うは難し、という前提です。

正直、自分も中高生のときにレベル2をどのレベルでできていたかは怪しいです。でも、ここまでできれば、大人になってからも絶対に生き生きと活躍することができると確信しているので、このレベル感を目指して寄り添いたい。

私も質問されると、すぐに教えちゃったりするんですよね。その方が、喜んでもらえるし、私も達成感があるからです。粘り強くサポートするより、教えちゃった方が一見楽なんです。でも、そこをグッと堪えて、自分の力で学ぶ力を育むサポートをしたい。

このコミュニケーションがすごく大変なんですけど。なぜなら、ファストフード店ですぐに出てくる美味しいハンバーガーを求めているお客さんに、有機野菜の中長期的に身体に良い料理を進めるようなものですから、一瞬嫌な顔されるときもあるんですよね(笑)でも、食べてみたら、中長期的には絶対よかったと思ってもらえる確信があるし、短期的にも美味しいと気づいてもらえると思っています。

一方で、塾という限られた時間の中で、かなりの頻度で迫り来る定期テストがあるので、補助輪をつけてでもできるようにしてあげる必要があるときもあります。

常にこのジレンマがありますが、短期的な学力向上と中長期的な学ぶ力の向上は、決して二律背反するものではなく、両立させて成長できるものだと思うので、ここは私たちも力を尽くしてがんばっていきたいところです。

と、教育について書いていると、いつも自分を棚にあげているような気がして来るので、自分の仕事の仕方や学び方についても見直したいと思います。メンバーに何か仕事を丸投げしないように…