「勉強に時間はかけているのに伸びない」という子に多いのが「勉強の作業化」です。
例えば、試験範囲の教科書を恥から恥まで眺めている時間とか、ノートに板書を写している時間とか、時間がかかる作業をしていると勉強しているという錯覚に陥りますが、そのような「作業」は、多くの場合、勉強になっていません。脳に負荷がかかっていない勉強作業は、実は勉強というよりも、手を動かす肉体労働をしている状態になっていると思います。
教科書を読むことを「勉強」にするためには、ただ文字を追うのではなく、自分の頭で考えながら読む必要があります。具体的には、自分の頭の中で、内容の理解を確かめながら読んだり、わかるところとわからないところを分けながら読んだり、構造を整理しながら読んだり、読む目的を明確にして取り組まないとすぐに作業化します。脳に負荷のかかっていない「教科書を読む作業」は、目の運動にしかなりません。
ノートを写すことを「勉強」にするためには、ただ写すのではなく、自分の理解を整理しながら書き出したり、自分の記憶の曖昧さに気づくために頭の中にあるものを書き出してみたり、記憶に定着させるために「思い出す練習」をしながら書き出したり。学校の授業であれば、試験前の自己テストの勉強を想定して見直しをしやすい形でノートを取ることもできるでしょう。何のためにノートに書き出しているのか、目的を明確にして取り組むことが大切です。
いくら1日10時間勉強しても、そのすべてが作業化しているとしたら、10分でも作業化していない「勉強」をした方が価値があるでしょう。
では、作業化しないためにはどうすれば良いかというと、一番簡単なやり方は小テスト(自己テスト)の実施です。子どもたちによく伝えていることは、自己テストによって「思い出す練習」をして脳に負荷をかけないと記憶に定着しないということ、数学など理解を深める必要があることであれば自分で思考をして脳に負荷をかけないと思考力は高まらないということです。塾としては、小テストを挟むことで、作業化しない工夫を試行錯誤しながら取り組んでいます。
また、勉強の作業化には意識の面も大きく影響するように感じています。勉強を「やらされている」意識が強いほど、圧倒的に作業化してしまう可能性が高まります。目的が「勉強をやっているふりをすること」になるので、教科書を開いても、「脳に負荷をかけないで楽をすること」を自然と選んでしまうからです。結果として、机に座って教科書を開きノートに書いているけど全く脳に負荷をかけていない、ということが起き得ます。この状態からの脱却が、最も難しいと感じている指導の一つなのですが、その状態を回避するきっかけを作るべく、私たちは面談や小テスト前後のコミュニケーション等を通じて、一人ひとりにとっての勉強の目標や勉強する意味に寄り添う試み、目的意識を書き換える働きかけをしています。
私たち大人も、自分を棚に上げて、子どもたちの勉強の作業化を責めることはできないかもしれません。「仕事に時間をかけているのに、成果が出ない」としたら、「仕事をしている状態」が目的化していて、作業化しているかもしれない。「仕事にやらされ感」があるとしたら、脳に負荷をかけることから逃れようとして、作業化しがちです。
かくいう私も、時々作業化している自分に気づくことがあります。例えば、朝、新聞を読んでいるとき。20分コーヒーを飲みながら新聞を読むことを日課にしているのですが、寝不足の日が続くと、気づくと「新聞から情報を取ること」ではなく「20分新聞を読むこと」が目的化して時間が経ってしまっていることがあります。字面を追っているだけで、自分の脳に負荷をかけて、理解を深めたり、仮説を立てたり、情報を整理したりすることから逃げて、字面を追うという作業になってしまっているのです。これだったら寝ていた方が良いですよね。そんなこんなで私も未熟なので、自分の行動の作業化を点検し、減らせるように試行錯誤しています。
自然と作業化しない「勉強」をできている状態になれるのがベストですが(没頭していると自然とそうなりますよね)、学校で勉強すべきことやすべき時期は決まっているので、気が進まないことや気が進まないタイミングでも「勉強」することが求められます。社会に出ると、(多くの場合)気が進まないことでも「仕事」することが求められます。
子どもも大人も、「労力はかけているのに成果がでない」という状態に気づいたら、「プロセスが作業化していないだろうか?」と点検してみるのが良いかもしれません。