夏期講習の頃から、中3生のTくんとは日々日々人生論のようなものを語り合っています。
水曜日あたりにぶつけられた問いは「努力って何ですかね?」
ちなみに、Tくんは、C.school開校後、3番目の入塾生!1年生のときは「Appleってなんで、アップルっていうんですか?」とか一つひとつについて突き詰めて問いをぶつけてきたTくん。いつも問がとても大変おもしろいのですが、受験というフェーズになったいま、真剣に勉強や受験に向き合っているからこそ、様々な葛藤にもぶつかり、その問が「なぜ学ぶのか?」とか「精神的に強くなるには?」とか「こういう人間になるには?」とかとか、人生に向き合う問が多くて本当におもしろい。Tくんの素晴らしいのは、どんなことにもただ問いをぶつけるのではなく、自分自身でも考え抜いているところです。
本気で考え、自分の意見を言い、時に次の日の行動に生かしていくこのプロセスは、彼にとって(そして私にとって!)、いまの人生に、そしてこれからの人生に生きると信じています。毎年そうですが、受験期の子どもたちとの会話は、学習に止まらず、進路選択や生き方の話までにも広がっていきます。このようなプロセスでの対話こそが、だれかの人生を、自分の人生を、そしてその先には社会を変えていく第一歩だと信じて取り組んでいます。恐れ多くも、松下村塾で吉田松陰が一人ひとりと向き合い、対話を続けていたことに思いを馳せながら。
同時に、人生選択に真剣に向き合う子どもたちは、本当に純粋でまっすぐで妥協がなく、こちらが学ぶことが多い日々です。大人になって経験が増えると、可能性を信じることも、大変だとわかっている一歩を踏み出すことも、辞めてしまいそうになることがあります。諦めることや言い訳をすることの方が楽だからです。同時に、経験値が少しだけ彼らより多い分、大変な一歩を踏み出して乗り越えると強くもなるし、楽しくもなるということもわかっている。彼らを見ていると、もう一歩ガンバレ!絶対人生変わるから!と声をかけたくなるし、声をかけるからには、自分がその挑戦を繰り返さないとまったく説得力がないので、背筋が伸びるわけです。
さて、「努力とは何か?」について、その後、しばらく考えていて、昨日Tくんとの議論を通じて私が出した答え。
Tくんとの議論の中で、最後まで努力と結果の関係性についてが最後まで悩まされました。「結果が出なければ、努力とは言えないのではないか?」という問いがあったからです。努力が何かを得るための手段だとしたら、その結果を明らかにしないと答えは出ません。
これは個人の幸せや生き方に対する価値観によって違うと思いますが、私自身は「成し遂げたいことを達成すること」「昨日よりも成長して、見える世界を変えていくこと」が自分自身の得たい結果であり、そのための手段はすべて努力と捉えています。ちなみに、成し遂げたいことは唯一無二の一つがあるわけではなく、昨日よりも成長した自分が新たに成し遂げたいゴールを定め直すことを繰り返します。自分が自分の人生に納得できるものを臨機応援に追い求めるそのプロセスも含めて努力。
中学生の目線で合わせて言えば、短期的には「英語のテストで80点取ることを目標を定めた。でも達成できなかった。だから、努力ではない。」と捉えるのではなく、そこまで本気でやって得られた気づきや学びから、改めて目標設定をし直したり、振り返って改善して、次の目標に向けて本気出す。その繰り返しが努力だと思います。
そんなことを考えながら、松下幸之助の言葉を思い出しました。
失敗したところでやめてしまうから失敗になる。
成功するところまで続ければ、それは成功になる。
自分が自分の人生に納得するまでやり続けること。
これから、私はそれを努力と呼びたいと思います。