「褒められると伸びる」「褒めて伸ばす」という言葉は、実際に「褒められると、人の脳は金銭的報酬に匹敵する社会的報酬を感じる」とも言われており、運動能力の向上において科学的に立証されているそうで(参考:「”褒められる”と”上手”になる」ことを科学的に証明)、自分の人生を振り返っても教育者としての関わりを振り返っても真実の一面を捉えていると思います。
一方で、褒めるときには、細心の注意を払う必要があると感じています。「褒める」という行為は、話し手が意図した以上に、受け手は様々なメッセージを受け取っているからです。褒める行為は、成長につながることもあれば、堕落や甘えにつながることもある。そんな危険性を教員時代からずっと痛感してきました。
自分の失敗も踏まえながら、褒めることについての考察を書きたいと思います。
褒めることの目的
私は、褒めることに二つの目的があると思っています。
まず、1つ目は、その人自身を「認めること」。
コーチングでは「褒める」ことは、評価を含むため、その関係性に上下関係が生まれるので、「事実を認める/受け入れる」ことが良いと言われています。人間関係において、子どもたちともフラットな関係でありたいと思っているので、常に意識をしていることです。これは人間関係を築く上で重要なことであり、同時に、一人の人が自分を認め自己肯定感を持って前向きに生きていく上で大切なことであると考えています。特に子ども時代に、誰かに認めてもらう、受け入れてもらうことは、人のその後の人生の自己肯定感を左右し、幸福度を変えてしまうほど大きな影響力があると思います。
以前、知り合いの方から、小学生からスパルタで勉強をさせられ続け、東大に合格、その後、超優良企業に入ったにもかかわらず「自分はどうせ言われたことしかできない」と日々言葉にしている人がいると聞きました。私自身も、近しい違和感を大学で感じたことがあります。自分なんかよりも遥かに賢いのに、いつも自分を卑下している人がいた。私の仮説では、ありのままの自分や自分なりの努力を認めてもらえた経験のあるなしが大きな影響を与えているのではないかと思っています。これは学校教員時代に、小学生時代ずっと先生に怒られてきた子に対して、他の先生方と一丸になってその子の存在そのものを認め、輝ける場所を作り続けることでみるみる変わっていく姿を目にした経験もあるから半ば確信しています。入学時の恐ろしい目つきが、卒業時には優しい目になっていた。
子どもたちが自分が自分で良いと思える自己肯定感、そして、私たち講師の前では自分でいられるという信頼関係を築くための「褒める」が一つ目です。
一方で、私たちは、塾の講師として「学習指導のプロ」として仕事をしているため、学習に関することに関しては、成長に対する評価と改善点に対するフィードバックが必要です。「自分が自分で良い」だけで止まってしまうと成長は止まります。スポーツで言えば、地方大会で毎回優勝!を称え続けるだけで、全国レベルとの差分を知ってフィードバックをしていかないと成長は止まるし、一生全国レベルになれないでしょう。「褒めること」は、お互いに心地よいですが、私たちは「居場所作り」を超えた成長を子どもたちに届けなければなりません。
従って、2つ目の褒める目的は「評価すること」です。1つ目の積み重ねにより、自己肯定感が育まれている子たちはフェーズ2に進んでいく必要があります。厳しいフィードバックも受け取り、改善し、成長することで良い評価を得るという段階。何をしていても「よくがんばったね」では成長はしない。自分自身と「目指すべきこと」を相対化し、その差分を認識して努力していくことで、人の能力は拡張していきます。このプロセスはしんどい。ここからが真に自分を変えていかなければならない段階です。人は、いまの立ち位置で安住していることを好むからです。だから、フィードバックをする講師側も露骨に嫌な顔をされたりするから辛いんですよね(笑)それでも、その子の真の成長を考えて、伝え切る必要があります。
私自身も、何度も「井の中の蛙大海を知らず」状態になり、誰かからのフィードバックを受けて苦しんだ経験があります。例えば、高校時代の野球部。高1から試合に出させてもらって上手いやつが入ってきたと持て囃された時期があった。しかし、気付くと顧問の先生になぜか自分ばかりがたくさん怒られることがあった。あのときは理不尽に感じたけれど、いま思えば、それはきっと、フェーズ2に進んだということなのだと思います。だいぶ成長させてもらいました。社会人になってからも同じ。1年目の初期の頃「優秀だなー」なんて言われたのが、突然厳しいフィードバックを受けることが続くことがあった。これも全く同じで、まずは「君はうちの仲間としていてくれて嬉しい」というフェーズから、「君の将来のためにも、会社のためにも、成長してくれ」というフェーズに入ったのだと思います。今振り返ると、ただ褒められていた瞬間よりも、自分を引っ張りあげてくれたそのフィードバックこそが自分を成長させてくれた。
だから、子どもたちにも同様の経験を届けたい。みんなあるがままの自分で素晴らしい。だけど、もっともっと可能性がある。だからこそ、ここまではやるべきだ。と。その期待値を超えたとき「本当にここまでできちゃってすごいね!」と褒めることに意味があると思っています。
「ありのままのその子を褒める(認める)」ことと「いまの自分に対する厳しいフィードバックを乗り越えて、自分を変えていけたことを褒める(認める)」ことがセットになって、これから先、自分を受け入れながら、それでもなお成長しようと思えるマインドセットが育めるのではないかと信じて取り組んでいます。前者だけだと、甘い。後者だけだど、自信がないからそもそもやろうと思わない。
もう少し具体的に私自身が気をつけていることを書いてみたいと思います。
プロセスを褒める危険性
「プロセスを褒める」というのは、具体的には、「勉強の仕方がよくなったね」とか「勉強時間が増えたね」とか、私たちの活動の主体である「定期テスト」や「受験勉強」の過程です。私たちは、最初の段階では、これをとても大切にしています。なぜなら、これがフェーズ1。多くの子が結果だけに一喜一憂し、大人から一方的に評価され、自己肯定感が下がった状態でやる気も出ない、なんて状態だったりします。だから、まずは私たちはその子たちなりの頑張りやこだわり、あり方を認めたい。成長のあり方の根本は、一人ひとりの個性やその子らしさです。その根本を教育者として関わる私たちが理解をしようと努めます。そうじゃないと、軍隊になっちゃうから。私たちが子どもたちの成長に願うことは、「言われたことだけはできるけど、自分では何もやる自信がない」ではなく、「自分らしく自信を持って、言われたこともできるけど、自分で考えて自分でやることもできる」という前向きに成長を繰り返していく子どもたちです。
だから、信頼関係を築くまでは、この段階がすごく重要です。
一方で、「プロセスを褒める」だけに留まり続けることは、子どもたちが「頑張っている姿を見せればそれで良い」という誤ったメッセージを受け取ってしまう可能性があります。フェーズ2の段階に入ったら、成長にコミットしていく必要があり、「結果や事実」を淡々とフィードバックし、その差分を認識して、具体的に行動を変えて、結果を変えていく必要があります。
ここからが若干厳しくなりますが、「頑張っていること」は心地よい。私自身の経験でもあります。「勉強がんばってるなー」なんて褒められると、「勉強時間」を長くすることで満足してしまう自分がいました。でも案外結果は変わらない。結果にコミットしてなく、「がんばること」が目的化しているからです。これは大人で言えば、残業時間を伸ばして頑張っていても、成果は出ていないのと同じこと。そのプロセスばかりを認めてしまうといつまでも頑張っていることに満足してしまいます。もちろん、頑張ってる自分は認めて良いし、素晴らしいことです。ただ、次のフェーズでは、プロセスのがんばりだけではなく、プロセスの改善と結果に注目する必要があります。これは自分自身が、いまでも勘違いしないように自戒していることでもあります。(余談ですが、ほんと成長や学習に関することは、子どもも大人も、全部同じですよね。子どもに伝えることは自分に伝えているようでおもしろいです。)
でも、大丈夫。フェーズ1を超えている人たちは、自分自身を認められるし、認めてくれる人がいます。子どもたちで言えば、本当に苦しくなったら、私たち講師が徹底的に寄り添います。フェーズ2として真の成長を遂げてほしいので、目標やあるべき姿と現在の差分を認識し、自分を変える努力をして結果を出すまで、厳しいフィードバックと必要な寄り添いを行ったり来たりしながら関わっていきたいと思います。
事実の認識を合わせる
保護者の方もご苦労されているところではあるかと思うのですが、以上のような「褒めること」と「適切なフィードバック」は頭ではわかるけど、塩梅が難しいと思います。そんなときに私が意識することは、「事実の認識を合わせること」です。
「目標点数は何点だったっけ?それで今回の結果は何点だったけ?」と質問します。それに対して、何も評価しません。子どもたちは、人に言われなくたって、その事実を見れば、もっと良くしたいと思うものです。でも、その事実を認識したり、振り返る機会は人為的に作る必要があると思っています。自分で振り返って自分で改善していけるほど、強い人は多くない。事実を認識して、目標との差分を認識して、厳しいフィードバックを受けて、内省して、辛さを乗り越えて自分を変える行動をとる。そのサポートをするのが教育の役割でもあると考えています。
その上で「これからどうしたいんだっけ?」と、子どもたちが自分なりにそのルートを作っていきます。それに対して、「それだと目標には届かないと思うよ。同じくらいの点数の子で同じ目標の結果を出すには、これくらい、こういうことをやってたよ。」とまた事実を伝えます。評価ではなく、事実をベースに会話します。そうすると自分事で自分で考えるようになる。そうすると、自分で自分の行動を変えるようになる。一発で変わるものではないけれど、この繰り返しだと思います。
ということを大切にしたくて、やはり継続的なコミュニケーションが大切なので、C.schoolでは「完全担任制」にこだわっています。私自身も、一つひとつのコミュニケーションの意味を振り返りながら、丁寧に関わっていきたいと思います。