高校生が、高校生活で得られるもの。

こんばんは。風間です。

今週はいよいよ都立高校の受験直前、高校生・中1〜2生も試験前ということですので、多くの子どもたちが学習に来ています。受験も定期テストも、それぞれも悔いなくやり切ってほしい!

さて、先週は個人的に大きなイベントがありました。公立中学校教員@福岡県時代の教え子が自分の母校である慶應大学・理工学部を受験するために上京。3日間、アテンドしました。

教員時代は、自分の力不足で本当に苦労したのですが(ちなみに教員時代の経験はこちら「学校教員の仕事から学んだこととC.schoolのつながり」というタイトルでこちらにも書いています。)彼は、そんな自分を支えてくれた一人でもあります。自分が与えることができたものよりも、彼らから与えてもらったものの方が遥かに大きかった。そんな教員生活。

情熱「しか」なかった自分の授業に一生懸命取り組んでくれた子の一人です。一番最初の授業は何週間もかけてパワポで作り込み、オールイングリッシュで授業をしたのですが、そのときのことを覚えていてくれました。未経験のサッカー部に配属されてしまった自分は、できることが何もなかったのでとりあえず一緒に練習したり、リフティング勝負に参加して負けて罰ゲームの坂道ダッシュをしたりしていました。その翌日は筋肉痛で足をぴくぴくさせながら授業をしていました。そんな思い出話ができる「仲間」と再会できた感じも幸せでした。

実は3年前、彼ともう一人は卒業旅行という形で東京に来てくれました。私の実家に泊まり、私の古巣である企業やNPOを周り社会科見学。そのときは、いまや一緒に塾をやっている関屋は、私たちの古巣NTTコミュニケーションズの社員だったので、NTTの人として会社案内をしてくれました。そのときに慶應の三田キャンパスも訪問。

今回はそれ以来となる再会で、このような形でまた一緒に三田キャンまで向かうことができて本当に嬉しかった。正門を通って受験に向かっていく姿を見て感涙でした。

高校生は、高校生活で何を得るのか

今回の滞在では、一緒に移動する時間も多かったため、彼とはたくさん話すことができました。3年ぶりに会って最も驚いたことは、身長が15cmほど伸びていたことと声変わりしていたこと!という身体的特徴ももちろんですが、話し始めてすぐに気がついた「溢れ出る自信」です。

明らかに3年前とは違う。話していく中で「主体的に送った高校生活が自信を育んだのだろう」ということを感じました。受験勉強や部活動、あらゆることに「自分の頭で考えて」取り組んだことが伝わってきました。本人も「中学までは言われたことをやっているだけだったけど、高校生活は放任主義的な学校だったので、自分で考えて主体的に取り組めました」と。そして「だから、楽しかったです!」と。自分で考えて、自分で取り組んだ結果があるから、自分の人生を100%自分を主語にして語ることができるんだと思います。自分の人生を生きている実感があるからこそ、人生が楽しいんです。そんなメッセージが、彼の言葉や表情から伝わってくる。

とはいえ、ご家庭のことも知っていますから、もちろん高校生一人で生き抜いたわけではないはずです。これは大人も同じですよね。誰一人として自分の力だけで生きることはできない。その裏には、計り知れないほど大きく温かい愛情と、いざというときの目には見えない支えがあるのだと思います。「失敗しても大丈夫。主体的に人生を歩もう」と(多分、無意識ですが)思えるのは周囲の環境も大切です。彼も友人が良い人ばかりだったそうですし、学校で唯一の慶應受験者でありながらも気にかけてサポートしてくださった先生もいたそう。環境にも恵まれたと言っていました。

高校生になると圧倒的に多くの学習量をこなし、圧倒的に多くの選択肢から選択する必要があります。大人が手取り足取り、すべてを見切るのは難しい次元になります。というよりも、高校背はもう大人です。高校生がさらに強くたくましく、そして何より自分らしく育つために大事なことは「子どもたちの主体性を奪わないこと」かもしれません。「大人」がすべて決め切らないこと。与えすぎないこと。私たち塾としても、選択肢や有益な情報、ノウハウはたくさん届けていきますが、最後は「自分の頭で考えた」と思える状態になるようにサポートすることが大切だと思います。だからこそ、対話を大切にしたい。「本人の考えを整理すること」「主体的に生きる意欲を引き出すこと」それこそが私たちが果たすべき役割だと信じています。

どんな大学に合格しても「先生に言われた通りにやっただけです!」という状態であれば、それは私たちが目指す教育としては成功とは言えません。なぜなら、それでは「指示してくれる人」を待ち続ける人生になってしまうからです。そうなると、自分の人生に起きることに対してオーナーシップが持てず、他責志向になっていってしまいます。自分で自分の人生を変えていく自信が持てなくなってしまう。だからこそ、私たちは「自分の頭で考えて取り組む成功体験」を積み上げるサポートに力を注いでいきたい。同じ結果を生み出すにしても、プロセスが大事なんです。それこそが、一生役立つ力を育むはず。彼との会話を通じて強く思ったことです。

大人のみなさん、子どもたちを信じて、粘り強く見守りましょう。情報やノウハウは提供することは大事です。でも強制した瞬間に「主体性」は奪われていきます。大事なことは、愛情を注ぎ続けること、見守り続けること、対話を続けること。だと私は思います。

中高生へのメッセージ

彼の話があまりにも素晴らしかったので、福岡へ帰る前にC.schoolに立ち寄ってもらい、来年以降の受験生で受験に対してとても意欲的な塾生数名に話をしてもらいました。慶應の受験を終えた翌日でお疲れのところだったと思いますが…(笑)本当にありがとう。

内容は、やはり素晴らしかった。教科毎の勉強の仕方や勉強に対する姿勢の話もすべて素晴らしかったのですが、最後のメッセージが私たち大人にも刺さるメッセージでした。

それは「受験は駒が違う将棋のようなものだから、自分の持ち駒を知って、よく考えて取り組むこと」というメッセージです。一人ひとりの足の速さが違うように、私たち一人ひとりがまた違った暗記力や思考力を持っている。つまり、与えられた駒は違う。その前提に立ち、自分がどのような駒を持っていて、どのように戦うかをしっかり考えること。それができれば、どんな駒でも十分に戦える、と。

これはもはや人生論だなと思いました。学習的な能力に関わらず、我々は違う駒を与えられて生まれてきます。成長する過程で、新しい駒を手に入れたり、駒が成ることもあるでしょう。大事なことは、私たちは、今持っている駒を認識し、戦略を考えながら生きていくということ。つまり、自分の強み(持ち駒)や自分の弱み(持っていない駒)を認識し、自分が生きたい人生を生きるために、戦略を考えて生きていくということだと思います。

また、「だからこそ、勉強のやり方も一通りではなく、おれはこうやったけど、みんなとは駒が違うから一人ひとり自分で考える必要がある」という一番最後のメッセージは突き刺さりました。私たちも勉強を教えるときに、一つのやり方だけではなく、子どもたちの持ち駒を見極めたり、さまざまな持ち駒の可能性を考慮に入れながら、その人だからこその戦略を一緒に考えていくことが求められているのだと思いました。

そして、何より、一人ひとりが自分自身と向き合い、自分の頭で考えていくことこそが、人生を楽しむコツなのだと思います。将棋だって、飛車を10枚与えられて動かす順番まで指示されたら、面白くないもんね。

これからどう生きるのか

帰りの空港までの道で将来や夢や希望を語り合う中で、「とりあえず幸せになりたいですよね」という話になりました。今回は時間切れになってしまいましたが、彼も私もそれぞれがそれぞれの場所で多様な経験をして、「幸せとは何か」を改めて語り合える日が来ることをとても楽しみになりました。

最後に、自分の人生に教え子という存在がいることに感謝しかありません。彼との再会を果たし、彼の姿を見ていると、何かわからないけど、あっという間に抜かれていきそうな感じがします。学校の勉強の範囲から脱却した末には、一人ひとりが知っていることなんてたかが知れています。専門分野や役割も違う。経験も感性も。彼から学ぶことは、今後ますます増えていくでしょう。

それでも、私はいつまでも「先生」であれたらいいな、と彼の帰宅後にふと思いました。それはきっと、教員時代に学習プリントに刻み続け、伝え続けた「自分の決断×自分の行動=自分の未来」、すなわち”主体的に楽しく未来を切り開いていく姿勢”を見せ続ける「先生」でありたいのだと思います。今後、彼と同様、私自身も、たくさん悩み、たくさん挑戦し、たくさん学び、たくさん失敗をしでかし、たくさん乗り越えるだろうと思います。そんなプロセスをとにかく楽しみ、「自分らしく楽しく生きようぜ!」といつまでも伝え続けられる存在でありたいと思います。

ところで、最近は高校3年生がまた受験に向けて相談に来てくれたりしています。教え子のみなさんに力になれることは、いつも嬉しくてたまりません。福岡にいるみんな、C.schoolを卒塾していったみんな、またどこかで会える日を本当に楽しみにしています!