子どもに勉強の必要性を伝える方法

昨日は都立の合格発表の日でした。今日は、開講して3人目に入ってくれたTくんが合格報告がてら遊びに来てくれて、1時間以上も談笑してしまいました。いやー、本当に嬉しい!一方で、この談笑ができなくなるというのは、寂しい。いつも本質的に「なぜですか?」と問う彼との会話は楽しく、「人生」について時に生真面目に考えている点で私と波長が合う部分もあったように思います。「今日の名言」とか言って、色々語り合いました。本人は高校生活に不安もあるようですが、とても良い表情をしていて、これからどんな高校生を送っていくのかとても楽しみです。時々、遊びに来てほしいなぁ、と念を押して伝えましたが、楽しくて充実した生活を送っていく中で、C.schoolのことは忘れていくのでしょう(笑)まぁ、それでも良いさ!楽しく明るく羽ばたいてくれ!(やっぱりたまに遊びに来てほしいな)

さて、今日は「勉強の楽しさの伝え方」について考えていることを書いてみたいと思います。

一時期、勉強の楽しさとか、勉強の必要性とかについて、とても一生懸命、わかりやすく伝えようとしていた時期がありました。なぜ各教科が将来役に立つのかとか、勉強する力がどれだけ将来役に立つのか、などです。数学を勉強しておけば役に立つことは具体的に説明できるし、勉強することで身に付く学ぶ力も役に立つことだって具体的的に説明できる。社会人も10年近くやっていますから、各教科の内容や学校の勉強を頑張るプロセスと、大人になって経験することをかなり強く結びつけられるからです。

でも、最近思うことは、勉強の楽しさや勉強の必要性を説明する内容そのものには、ほとんど意味がなさそうだなということ。子どもたちからすれば「そんな先のこと言われてもねぇ。なんとなくそうなんだろうけど、具体的な実感がわかないなぁ」という感じだと思います。

子どもたちに本当に勉強してもらいたいと思うなら、滔々とその必要性を説くよりも、「勉強に巻き込むこと」の方が遥かに効果がありそうです。勉強の重要性に本当の意味で腑に落ちるのは大人になってからである可能性が高い。だからこそ、いまはその意味がわからなくても、「勉強に巻き込まれている状態」を作ってあげることこそが、一大人の責任のように感じます。(前提として、私は「勉強はしておいた方が良い」と強く思っているからですね。)

少し話をずらすと、例えば「老後の備えの大切さ」を私が聞かされたとします。頭ではわかるけど、しっくりこない。「そんな先のこと言われてもねぇ」と思ってしまう。そんな説明をされるよりも、「iDecoは非課税でお得だよ」とか「アメリカでは積立投資をしておくことが普通なんだよ」とか、「なんかお得そう」とか「なんかやってみたいな」って思うような働きかけの方が遥かに心が動きます。「え、◯◯さんもそんなことやってるんですか?しかもそんなに得したんですか?」ってなるとますます始めたくなる。

じゃあ、勉強をしてもらうためには、具体的に何をすべきかというと、やっぱり大人が楽しそうに勉強している姿を見せたり、一緒になって勉強することではないでしょうか。例えば、受験勉強を伴走する中で、◯◯高校の対策に熱狂的にのめり込んでいたり、ある教科の説明に異常なまでのこだわりを見せていたり。あとは、先ほど否定した「勉強の楽しさや必要性を説明すること」を、子どもを納得させようとするのではなく、ただ本当に思っていて楽しくて仕方がないから、気が狂ったように楽しそうに語りまくってるとか。話の中身ではなく、その「情熱」に引っ張られる可能性はあるかもしれません。つまり、何が大事かというと、身近の大人が心から学びに喜びを感じていて、勉強に熱狂していることが重要なんじゃないかということ。勉強や学びに対する熱量を伝播させるということです。

「勉強しなさい」とか「大人になったら役に立つよ」とか、大人は子どもたちにお説教しがちですが、そういうお説教じみた言葉が心を動かしている瞬間を、私は人生で一度も見たことがありません。自分自身も「勉強しておいた方が良いよ」とか「貯金しておいた方が良いよ」とか、その他諸々「◯◯しておいた方が良いよ」という一方的な説明と説得で心が動いたことが一度もない。本当に心が動く時って、その発言をしている人が、その行為の当事者として、心からその行為の大切さを実感していたり、その行為そのものに喜びを感じいて、伝えたくて伝えたくて仕方がない情熱が湧き出ちゃってるときなんじゃないかと思うんですよね。

勉強してほしいなら、自分が勉強する。
掃除してほしいなら、自分が掃除する。
貯金してほしいなら、自分が貯金する。
人に感謝してほしいなら、自分が人に感謝する。
楽しく生きてほしいなら、自分が楽しく生きる。
夢を持ってほしいなら、自分が夢を持つ。

そして、それぞれに対して、自分が心の底から価値を感じていること。熱狂していること。喜びを感じていること。

これはもはや、何かを人に伝え、人の心を動かすときの前提条件だと思います。その上で、私たちの場合は教育の仕事をしているわけですから、それをうまく伝えるスキルも身に付ける必要があるのだと思います。

私はやっぱり子どもたちには勉強してもらいたいなと思うので、自分が狂ったように勉強して、その喜びに熱狂して、そしてうまく子どもたちにその熱量を伝播させたいなと思う日々です。

でも熱狂しすぎて、「ウザいおじさん」にならないようにだけは注意したいと思います。笑