子どもたちを育てる環境づくりで、一番大事なこと

こんばんは。かざまです。

今週は1日早めの投稿です。今日3回目のワクチン接種をして、明日はへばっているかもしれないからです。

さて、今日は、教育現場の環境づくりとして大切にしていることについて書きたいと思います。私は本当に学校現場で学んでいなかったら、うまく塾を運営できなかったと思っているのですが、今回の内容もそのうちの一つ。

それは、
① 教室をきれいにすること(掃除を怠らないこと・整理整頓をすること)
② 頑張っている子が損をしない環境にすること(私語や小テストのズルなどを許さないこと)
③ そこにいる大人が①②を大切にすること(みてみぬふりをしないこと

です。

学校現場にいたとき、本当に驚いたことがありました。

それは、全く同じ子どもでも、①〜③をきちんとできている先生の時と出来ていない時で全く違う人間になってしまうということです。

正直、最初の私は①〜③を「できていない」教員でした。時に、きちんと勉強をしない子をみて、子どものせいにしてしまいたくなる日もありました。いや、していました。たくさんプリントを作ったり、たくさん授業のコンテンツを作り変えたり、その子とたくさん話をしたり、努力は続けました。それでもうまくいかない。「こんなに自分は頑張っているのに、なぜこの子はふざけているんだ」と。

でも、後から気づいたことは、自分の努力の方向性が間違っていたということ。というより、「面倒だけど大事なこと」から目を背けていたのです。頑張っているようで、楽をしていたのです。

うまくいかない日々が続く中で、救いを求めて、とても上手に生徒を導く先生の授業を見学していると、驚くべきことがありました。それは、自分の授業で「うるさい生徒」が他の先生の授業で「前向きに一生懸命勉強する生徒」になっているのです。

それをみたときに、悪いのは子どもではなく、適切な環境を作れていない自分なのだと理解しました。人は環境で変われる。だれと関わるかでいくらでも変われる。良く変われるとも言えるし、変わってしまうものでもあるのです。それから子どものせいにする大人を信じなくなりました。自戒の念でもあります。

そして、そのとても尊敬する先生を観察したり、その先生から指導を受けたことを踏まえると、大事なことは①〜③になります。その先生は「心」と表現していましたが、具体的には、

教室をきれいにすること(掃除を怠らないこと・整理整頓をすること)
② 頑張っている子が損をしない環境にすること(私語や小テストのズルなどを許さないこと)
③ そこにいる大人が①②を大切にすること(みてみぬふりをしないこと

なのです。

それを意識し始めてから、明らかに子どもたちの授業の様子が変わりました。関係が改善しました。私自身も変わっていきました。正直、大変恥ずかしながら、最初は子どもたちを注意するときには、嫌な顔をされたり反抗されたりするので怖気付いていた自分もいたのですが、正しいことを積み重ねていくことで、子どもたちの顔色を窺うことはなくなりました。なぜなら、正しい環境づくりを積み重ねる行動をしていることで、自信が芽生えてくるからです。実際に、そうなってくると、どんなに瞬間的にネガティブなコミュニケーションをとったとしても、子どもたちはついてきてくれるのです。子どもは、信念を持って正しさを追求する大人についていく。そんな経験もしました。

だからいま確信を持って言えることは、日が変わる時間まで授業準備をしたことよりも、土日に一生懸命パワーポイントでおもしろい授業を作ったことよりも、心綺麗にいられる環境づくりに対する意識の方が遥かに大事であったということ。

そして、塾をつくってから、これらをとても大切にしてきました。今となっては、3人体制となり、優秀なメンバーが揃っているので、塾にかなりのノウハウが溜まってきましたが、開講1年目はまだまだノウハウもスキルも足りない状態。そんな中でも、多くの塾生が通ってくれ、成績向上も含めて成長してくれたのは、単に環境づくりの賜物だと思っています。正直、それ以外はなにもなかったと思います。だからこそ思うことは、それがすべての土台であるということ。

卒塾生からは毎年「静かな学習環境で集中できた」という声をもらえています。環境が良ければ、大人が余計なことをしなくても、子どもは必ず成長する。これは私の確信です。大人は、あーだこーだ言ったり、余計な介入を試みる前に、子どもが心綺麗に成長できる環境を作ることにこそ力を注ぐべきなのだと思います。そしてその大切さを合わせて伝えていくこと。勉強のテクニックなんかより(もちろん教えますよ!)、自分の身の回りを整理して、自分が成長できる環境を自分で作れるようになること。その方が遥かに重要だと思います。

でも、それが一番大変なんです。私たち大人もやっぱり目を背けたくなってしまうことも多い。面倒なことから逃げたくなってしまう。大人も弱い。そりゃ人間だもの。だけど、この仕事を選んだものとしての責任があります。これをやらずして、自分は教育活動を続けることはできません。教育者として仕事をすることはできない。

学校現場で同僚の先生・子どもたちに教えてもらったことだからです。この教えを破ったとき、塾は崩壊していくだろうと、いつも戒めとして自分に言い聞かせていることです。

その上で、やっと、付加価値に意味が出てくるのです。コンテンツやコミュニケーションは、「その土台があって」真に意味が生まれるのです。どんなに良いコンテンツがあっても、どんなに丁寧にコミュニケーションをとっても、そもそもの土台がないと何も変わらない。場合によっては、むしろ悪化する。

ただ、もちろん、土台を固めた上で、大切にしていることはたくさんあります。これらについてはまた書きたいと思いますが、例えば、子どもたちの学習管理を解像度高く行うことと塾生・保護者様と丁寧にコミュニケーションを取ること。管理と言っても、全部を指示して動かす軍隊教育ではありません。把握をした上で、どうコミュニケーションを取るかを考えるのです。放任でもなく、強制でもなく。一人ひとりの学習の中身や様子をよく観察し、見守り、適切なタイミングでアドバイスをすること。それこそが目指している関わりです。

今日書きたかったことは、それらの付加価値も結局、当たり前のことを当たり前のようにやっている、間違ったことから目を背けない、そんな人間でなければ、心綺麗にあれる環境でなければ、何も伝わらないということ。

そんなわけで、今日はこれから入口玄関に溜めてしまっていた不要な家具を粗大ゴミに出したいと思います。こんな見苦しい状態を数ヶ月も続けているようじゃだめですね… 上述の同僚の先輩先生に見られたら怒られそうです。「こんな状態で、生徒を受け入れると?(福岡弁)」と。

塾生数が増えてきたいまこそ、改めて、土台の部分を丁寧に取り組んでいきたいと思います。